今回は広島カープのレジェンドをご紹介します。
山本浩二さんや衣笠祥雄さん、黒田博樹さんは有名ですが、
それ以外も他球団に移籍してしまった選手も含めてご紹介します。
白石勝巳
広島カープは1950年に創設されましたが、その時のスタープレーの白石勝巳選手です。
故人の方です。
白石勝巳選手は、広島出身で、もともと巨人などでプレーしていましたがが、
カープができる時、
「郷里で野球生命を終えたい」
と移籍してきました。
逆シングルの名手でもあります。
長谷川良平
広島カープの黎明期の大エースの長谷川良平投手。
故人の方です。
身長は167㎝しかありませんでしたが、跳ね上がる投球フォームで投げるストレートやシュートは威力抜群でした。
通算の勝利数は197。
途中、移籍騒動などがあった際も
「俺はカープ一筋に生きる。」
と言い放った選手でもあります。
山本浩二
説明不要の広島カープのレジェンドの山本浩二さん。
広島出身。
もし、カープのレジェンドを一人上げろといわれたら、
殆どの方が、この山本浩二さんを上げるのではないでしょうか?
カープの初のリーグ優勝や初の日本一に貢献した選手です。
20代の時より、30代のほうが凄かった選手でもあります。
背番号8は永久欠番です。
衣笠祥雄
鉄人で有名な衣笠祥雄さん。
連続試合出場記録日本記録・世界2位記録、連続フルイニング出場歴代3位という凄い記録を持っている方です。
上でご紹介した山本選手とともに強い時代のカープお支えた方です。
父親は在日米軍人のアフリカ系アメリカ人ということで、外見も迫力のある方ですが、
喋り方は凄くマイルドで、感じの良い方です。
背番号3は永久欠番です。
北別府学
通算の勝利数が213の投手だった北別府学さんです。
この方は、ストレートはそれほど速くなく、あまり投げないのですが、
変化球がスライダー、カーブ、シュート、シンカーと多彩で、
コントロールが抜群によい投手でした。
メジャーでいえば、マダックスのような投手ですね。
津田恒実
クローザーとして活躍された津田恒実投手です。
球速が153キロでて、闘志むき出しの投球スタイルは、『炎のストッパー』と形容されました。
また、32歳という若さで亡くなられた方ですが、
そのことでさらにレジェンドとしての名を高めている方でもあります。
高橋慶彦
赤ヘル機動力野球の申し子と言われた高橋慶彦さんです。
打率も3割打て、ホームランも20本以上。
そして盗塁もできるという1番打者としては理想的な選手でした。
残念ながら、晩年、カープを離れてしまいましたが、
知人には「出来れば広島に骨を埋めたい」という言葉をいっているという話です。
間違いなくレジェンドの一人です。
大野豊
先発でもクローザーとしても活躍された大野豊さんです。
独特の変則フォームで、
あの松井秀喜さんも
「大野さんのボールは一生打てません」「ベンチにいるだけで嫌だった」
と発言しています。
野村謙二郎
トリプルスリーを達成したこともある走攻守揃った選手の野村謙二郎さんです。
高橋慶彦さんと、どちらが上かと議論される選手ですね。
ヒットは2000本以上も打っています。
カープ一筋で、引退後はカープの監督もされています。
前田智徳
天才打者といわれる前田智徳さんです。
前田選手も広島一筋で、2000本以上のヒットを打ち、名球会入りしています。
あのイチロー選手が大好きで尊敬している打者でもあります。
野球に対して、ストイックで求道者のイメージのある方ですね。
佐々岡真司
先発と抑えで活躍された佐々岡真司さんです。
不振に陥った時期もありましたが、
投球スタイルを変えて、見事に復活した時期もあります。
(打ちにくい投手になるには?>>)
マエケンも、この佐々岡さんを尊敬していますね。
黒田博樹
メジャーでも大活躍し、高額オファーを断り、カープを選んで帰ってきてくれたレジェンドの黒田博樹投手です。
本当に感動的でしたね。
野球人生としては、同じくメジャーで活躍した松坂投手、ダルビッシュ投手、田中投手などとは、全く違うタイプで、
甲子園のスターでもなく、プロ入りはドラフト2位。
しかもプロ入り数年は、たいして活躍できなかった投手で、
いかに努力型の投手かわかります。
これだけ遅れて活躍し始め、日米通算200勝以上を達成しているのは、凄いとしかいいようがりません。
背番号15は永久欠番です。