ACミランに所属している本田圭祐選手が自身のツイッターに今シーズンで、ミランを離れることを綴りました。
イタリア語で書かれたもので、3つのツイートで退団について綴っています。
「親愛なるミラニスタ(ミランのサポーター)のみなさん、ありがとう。この3年半は常に挑戦が続いたが、おかげで人間として成長させてもらうことができました」
「今季でミランを離れますが、近いうちにまたお目にかかれるのを楽しみにしています。その時は選手としてではなく、また違った形になるのかもしれません」
「これからも自分の目標にたどり着くため、日々努力を続けていきます。ずっとフォルツァ ミラン!(頑張れ、ミラン!)。愛情とともに。圭佑」
21日選手のボローニャ戦では、57分から登場し、
なんと73分にFKで今シーズン初ゴールを記録して、チームの勝利に貢献しました。
ホームの最終戦でゴールを決めちゃうところは、さすが本田選手ですね。
ところでこの本田選手ミラン時代ですが、成功だったのか失敗だったのか?意見は分かれるところかもしれません。
改めて、本田圭祐選手のこれまでやミラン時代を振り返ってみたいと思います。
南アフリカのW杯後、日本で一躍大スターに
2010年南アフリカで開かれたW杯で、一躍スターになった本田圭佑選手。
日本では一気にマスコミから注目された感じで、これまでの日本人にない特性があったため、
日本サッカー界を世界レベルにしてくれる選手として期待されました。
またかなりのビックマウスでしたが、本田選手が言うと本当にそれが実現してしまうのではないかと思うほど。
他の人が言えば、袋叩きにあいそうな発言も本田が言うなら。。。みたいな雰囲気だったような気がします。
ただ日本人的には、革新的な選手でしたが、海外での評価はそれほどでもなく、
ロシアでもそこそこの活躍してはいましたが、ロシアからなかなかステップアップできず、
エアオファーをくり返していました。
そういう中、ようやくどん底に喘いでいたかつてのビッククラブのACミランが移籍金0でようやく本田選手を獲得してくれました。
本田選手にとっては、いくら落ちぶれているといっても子供の頃からの夢がかなったうれしい移籍になったようです。
しかし、それから本田選手は苦労の連続でした。
ありとあらゆる悪口をいわれたミラン時代
さて、ミラン時代に加入したあたりから本田選手は、イタリアでも日本でもただただ叩かれている選手というイメージです。
1年目のミランでは活躍できず、ミランOBなどに批判を浴びました。
また2014年のブラジルのW杯では、美しいゴールこそ決めましたが、中盤でボールを取られる回数が多く、
これまで大口を叩いてきたこともあり、一気に批判は本田選手に集まったのです。
またブラジルから日本に帰ってこないと行動がさらに批判を浴び、
マスコミやネットでもぼろ糞のいわれようで、栄光の時代からすると一気に地獄に堕ちた感じでした。
もうダメか?と思われましたが、
そんな中、2014年~2015年のシーズンでは、ミランで序盤に大活躍。
これまでのプレースタイルとガラッと変わり、やっぱり本田は凄い!という印象も一時的にあたえました。
ところが、その活躍はまさに一時的なもので、また活躍できなくなり、
イタリアでのブーイングや嫌われ方が、すさまじい勢いとなって本田選手を襲ったのです。
やはり、これは、ミラン加入時にあまりに大口を叩いてしまったことと、
背番号10をつけてしまったことが原因のようです。
それからの本田選手はありとあらゆるある悪口を言われました。
いくら虐められてもめげないメンタル
まさにイジメかとも思えるような酷い言われ方をイタリアのファンやマスコミからされる本田選手ですが、
本田選手はめげませんでした。
常に強気な発言に徹し、時々、活躍して驚かせることに成功しています。
代表でもブラジル杯以降は不要論の嵐ですが、
なんだかんだいって結果ものこしています。
このメンタルは異常といえます。
そして、ついにミランから必要のない選手になってしまいましたが、
上で書いたように、ホームの最終戦で直接FKを決め、最後の意地を見せてくれました。
ファンからは、本田コールをもらい、
本田選手を戦力として見なしてくれなかった監督からも「偉大なプロフェッショナル」という言葉をもらっています。
日本でも本田選手を好きな方は、涙を流して喜んだ人もいるようです。
本田選手のミラン時代は終わりました。
成功だか失敗だかよくわかりませんが、最後、すがすがしい空気を残してくれたように思えます。