陸上の車いすの佐藤友祈選手。

競技を始めてたった数年で、世界の頂点に立った選手です。

リオデジャネイロのパラリンピックでは2つの銀メダルをとり、7月の世界パラ陸上ロンドンでは2つの金メダルをとっています。

2020年の東京でのパラリンピックでも金メダルの期待がかかる選手ですね。

今回は、そんな佐藤友祈の紹介と、なぜ岡山で活動しているのかを調べてみました。

出身は静岡、21歳の時に脊髄炎

佐藤友祈選手の出身は静岡県藤枝市です。

高校は静清工業高校(現静清高校)。

卒業後は、県内の水産加工会社に勤めましたが半年で辞め、上京して演劇の仕事を夢見ていたようです。

ところが、21歳の時に脊髄炎になって、左腕が麻痺し、下半身の感覚を失ってしまいました。

なんと、車椅子生活にないました。

一時は地元に帰り引きこもりだったということですが、

ロンドンのパラリンピックで、格好いい車椅子にのって、風をきって走っている選手に憧れ、

この競技を僕もやってみたいと思い、

この競技を始めたということです。

学生の頃は、どちらかというと文科系だったという佐藤友祈選手ですが、

父がレスリングの元国体選手だったということで、アスリートとしてのDNAがここで目覚めたのかもしれませんね。

腕の力が相当に重要になってきそうな車椅子の陸上競技ですが、

父親譲りの恵まれた身体能力があるのかもしれません。




なぜ岡山に?

ところで、佐藤友祈選手は、現在、岡山で活動でしています。

なぜなら岡山にグロップサンセリテという障害がある方の社会参加を積極的に支援する会社があり、その会社にWORLD-AC(ワールドアスリートクラブ)という車椅子の陸上部があるからです。

佐藤友祈選手は、グロップサンセリテの正社員としてフルタイムで勤務し、

車椅子の陸上競技の活動もしています。

こちらが、グロップサンセリテのホームページになります⇒グロップサンセリテのホームページ

本当に素晴らしい立派な会社ですね。
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