関根順三さんという元プロ野球選手の方がいます。

プロ野球の解説者などに以前は出演されていて、とっても温和な感じのおじいちゃんという印象ですね。

私はかろうじて、ヤクルト時代の監督の姿を拝見したことが記憶にありますが、

昔から温和な印象の監督という感じでした。

この関根順三さんの現在ですが、2017年現在もまだご存命でいらっしゃいます。

何と、今年で90歳になられていますね。




昔は口より先に手が出る?

本当に温和で優しそうな関根潤三さんですが、監督の時も、やはり選手たちからもそう思われていたようです。

大洋時代にベテラン選手が試合前のミーティングに遅れたとき、

「てめぇら、ふざけるんじゃねぇ!」と怒鳴ったようですが、

選手たちは特に恐縮もせず驚いただけだったようです。

そして、「てめぇら、ふざけるんじゃねぇ!」が選手たちの間で流行語になったようです。

面白いエピソードですね。

しかし、そんな温厚そうな関根順三さんですが、もう少し若いときは、口よりも先に手がでるくらいの熱血漢だったそうです。

しかも、売られたケンカは買っていたようです。

監督をされているときは、かなり丸くなられていた時だったんですね。

戦争に行っていたかもしれない?

実はこの関根順三さんですが、本来は戦争にいかなければいけなかったようなのです。

というのも、関根さんが生まれたとき、大正15年12月25日は大正天皇が崩御された日だったのですが、

役所は喪に服して業務をやってなかったようです。

その後、父親がすぐに出生届もださず、なんと出したのが3か月後も3月15日で、

しかも届けた日を生まれた日にしてしまったのこと。

これで関根さんは、本当は大正生まれなのに、昭和2年生まれになってしまったのです。

ちなみに昭和1年は一週間ほどでした。

しかし、これが幸いして、関根さんは、戦争にいかずにすんだのです。

このとき、戦争にいった同級生は、たくさん戦死されたり、復員できなかったようです。

もし父親が正確に出生届を出していれば、あの温和で素敵な笑顔はみれていなかたのかもしれません。

昨年は、「関根潤三 解説50年『ニッポン放送 ショウアップナイター功労賞』 ゴールデンマイク贈呈式」で巨人で高橋由伸監督とあったときには、

「あんまり頑張るなよ。力んじゃダメ。ほどほどにね。自然にいきましょう。あなたなら大丈夫だ」

という言葉をかけられたようです。

本当に温和な関根さんらしい素敵な言葉です。
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